【白猫イネスの日々】1話:彼女がイネスの理由

essai

 3年ほど前から、保護猫団体から1匹の猫をもらい受けてともに暮らしている。真っ白い毛をしたメス猫で、名前はイネスという。
 この名前、フランスに馴染みがある方ならすぐにわかるだろうけれど、フランス人の女の子につけるようなフランスかぶれな名前なのである。どうしてこれを選んだのかというと、理由は猫の体型にある。
 
 私がイネスと出会ったのは保護猫用のシェルターだった。
 シェルターといっても普通の民家の2階で、6畳ほどの部屋にゲージが積み重ねられ、そこではさまざまな種類の猫が一緒に暮らしていた。
 その当時、イネスは1歳半である。まだ育ち盛りだったにも関わらず決して広くないシェルターで思うように運動ができなかったなど、さまざまな理由があったのだろう。イネスはガリガリのちっぽけな猫で、顔も体も他の猫に比べてひとまわり小さかった。あまりの貧相な見た目に、出会った瞬間に病気を疑ったほどである。もし病気だった場合、医療費も手間もかかるため、もらい受けるとなるとかなりの覚悟がいる。責任が生じるし、決して即断はできない。そのため私はネットに掲載されていた猫たちの写真を見て事前にイネスに目星をつけてこのシェルターを訪れたにも関わらず、他の猫にしようかと思案をはじめていた。
 けれども他のどの猫を見てもピンとはこなかった。どの子もかわいくて悪くはないが、決め手に欠けるのである。イネスはというと、私の膝あたりの高さの台の上にちょこんと座り、なぜだかじっと私を見つめていた。あまりにも長い時間見つめられたので、だんだん無視するのも忍びない気持ちになってとうとう居心地が悪くなった私は、ひと撫くらいしてあげようと彼女に近付いたのだった。
 するとそこで、彼女は行動にでた。私が近づいた途端に床に降り、お腹を見せてごろん、である。そして床をころころと転がり、弱った見た目には似つかわしくない無邪気で溌剌とした姿を見せた。
「アピールしてる」
 と、近くでその様子を見ていた保護猫団体の人が微笑みながら言った。
 正直言ってしたたかさを感じなかったわけではない。けれどもそんなのどうでも良いと思ってしまうほどにイネスはかわいらしかった。先ほども書いたように、病気などのリスクがないわけではない。けれども……。そう思わせるだけの縁のようなものを、私は感じはじめていた。
「うちに来る?」
 なお床でごろごろしている彼女を見下ろしながら、そう問うてみると、私のスカートの裾にじゃれついてきた。その姿が、私には「行く」と言っているように見えた。
 保護猫は正式な譲渡の前に、「トライアル」というお試し期間が設けられていることが多い。まずは数週間試しに家にむかい入れてみて、お互いに今後うまくやって行けそうか相性を見るのである。彼女もうちに来たそうだし、短期間でも様子を見られるなら問題ないだろうと、私はイネスを試しに引き取ることにした。
 それから保護猫団体の方とトライアルまでの流れを確認し、タイミングが来たら電話をもらうという約束を取り付けた。そのやり取りがおわるや否や、話がついたのがわかったかのように彼女は床から近くの台にぴょんっと飛び乗った。
 すると突然、しゃがんでいた私の目の高さのところに彼女のほっそりとした体が現れた。その姿をまじまじと見せつけられるような形になった私は、彼女の足の長さにびっくりしたのだった。スタイルの良い猫、というものを今まで見たことがなかった。痩せていたことも手伝ってか、彼女はすらっと線的な独自の美しさを宿しており、その姿はまるでモデルのようだったのだ。

 その後保護猫団体の代表の女性が近所を案内してくれるというので、私たちはシェルターを後にした。
 歩きながら、彼女はずっと今までどこに住んでどんな仕事をしてきたのかを話してくれた。
 その話によると、代表の女性は若かりし頃、フランスでデザイナーをしていたらしい。専門学校で洋服について学んだ後渡仏し、体を壊して帰国を余儀なくされた36歳まで、向こうで働いていたという。         
 そんな彼女の話に登場したのが、今でもユニクロのコラボなどで日本で活躍しているモデルのInès de La Fressange(イネス・ド・ラ・フレサンジュ)だった。
「当時イネスは19歳だったかしら。シャネルに起用されて一気にトップモデルになったのよ」
 と思い出話を語って聞かせてくれた。彼女がパリにいた頃は、それはそれはセンセーショナルな出来事だったのだろう。彼女の声の微妙な弾みから、当時の人々の高揚が伝わってくるかのようだった。
 その時、猫のほっそりとした体型と「モデルのイネス」という名前が結びつき、私は「もし彼女を飼うことになったら、名前はイネスにしようかしら」などと考えていた。
 
 それから2年後、代表の女性の方に猫の写真を同封して手紙を送った。元気にやっていること、毎日たくさん食べてたくさん走り回った結果、ひとまわり大きくなったこと、そして名前をイネスにしたことなどを綴った。
 数日経って、早速返信の手紙がやってきた。
 そこには「まさか、トップモデルの名前を付けましたか!」と驚きの声が書かれていた。
 当時のパリを彩ったデザイナーやモデルたちの人生を賭けた生々しいドラマを知っている彼女と雑誌で名前と姿を見た程度の私では、「トップモデル」の名前に対する重みが違うのだろう。パリのファション業界なんていう華やかな世界とは程遠い東京の普通の賃貸マンションの一室で、私は煌びやかなドレスや美しいモデルたちに思いを馳せた。
 かくして、我が家にはフランス人の名前を付けられた神奈川県は浦賀出身の猫が、今日も大好物のしらすをねだってキッチンで「にゃ〜にゃ〜」と鳴いている。
 


 
 

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